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2008-04-25 Fri 20:24
今日さ、後輩があることで落ち込んで励ましてあげたんだよ。結果的に感謝されたし、一見落着したのはいいんだけど、たとえば俺がこうなったとき誰が俺を支えてくれるんだろう。 親友はいる。友達だっている。でも、自分みたいに声をかけてくれるだろうか?理解しようとしてくれるだろうか?欲しい言葉をかけてくれるのだろうか? なんか、すごく悲しい。 良いことをした?あとのこの嬉しさと悲しさ。空虚感。ぽっかりと空いた穴。虚しくて虚しくて、しかもどうにもならない。この気持ちは、いったいどうして?
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他人は全て自分とは別の個体だから、必ずしも全てを分かり合ってくれるわけじゃない。
むしろ、そっちの可能性のほうが明らかに低い。
虚しいことかもしれないけど、それは不可能といっても良い。それが当たり前とも。
親友だって友達だって、家族でさえ、自分のことを完全に理解してくれているわけじゃない。
それが悲しいのなら、自分の中だけで解決していくしか方法は無い。
でもそれじゃ、自分が壊れちまう。
だから、人は“集団”っていうのを作ったんだ。
他人に理想を求めても無駄なだけ。
けど、悲しさ、虚しさ、そして寂しさを追っ払うには、人と接する他無い。
だから、人は群れを作ったんだ。
友の慰める言葉は、自分にとっては何の意味も持たない、ただの“文字”かもしれない。
でも、慰める側は、自分を一生懸命に慰めてくれてる。
ただの“文字”ではなく、“言葉”を探して。
そんな存在が居てくれること自体が、とても稀な事。
理想とは程遠いモノであっても、ありがたく思うべきなのかも。
残酷だが、人は昔から多くを求めすぎだ。
親友という存在が居ること。
家族という存在が居ること。
それだけでも十分なのかも知れない。
と、慰めてみる。
なんか、ただの理想論になっちゃった。サーセンw
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